一紅会主催  第12回「春の講演会」 資料

        中世のトップリーダー
          ~甲斐の国、との素晴らしい文化~

 
     日 時:平成21年3月7日(土)13:00~14:30
    会 場:アルカディア市ヶ谷
    講 師:筑波大学教授 守屋 正彦氏

 
中世の甲州カ トップリーダーの活躍
 壬生忠峯や凡河内躬恒ら歌仙が滞在した甲斐の国は、古代に、日本武尊が「新治筑波
を過ぎて幾夜か寝つる」と歌い、火焚きの翁が歌を返した「連歌発祥の地」である。古今集
の賀歌「志保の山」は都人に親しまれ、遥か遠くより歌の地を想い、硯箱、手箱、文台、太刀
拵えなどに見られる蒔絵意匠(図1)の傑作が中世には数多く制作された。
 平安後期には清和源氏が土着。三組の阿弥陀三尊像(韮崎、願成寺ほか)が武田氏領
に、安田氏の奉納になる大日如来をはじめとする密教像が塩山放光寺に伝えられ、優れた
京文化の受容が認められる。中世に入ると鎌倉往還を通じて禅宗がいち早く流入し、塩山向
岳寺には国宝の「達磨図」(図2)が伝来し、わが国禅宗の幕開けを飾る象徴的な逸品として貴
重である。その頃、元寇を予感し、「立正安国論」で警鐘を鳴らした日蓮(図3)が身延に草庵
を開き、以後その地に築かれた久遠寺は聖地として信仰されていった。
 南北朝にさしかかる頃、甲斐出身の夢窓国師(図4)とその法嗣たちがわが国の禅宗の体制
を確立していく。足利尊氏とともに京都の南禅寺、天竜寺、相国寺などを拠点に、諸国に安
国寺を置き、古代の国分寺のような布教機能を整備した。甥である春屋妙葩(図5)はさらに京
都の五大寺院を束ねて五山文学を興隆させ、禅籍を出版して布教に努めたのであった。そ
の五山文化を芸術の粋に高めたのは竜揪周沢(武田氏)、義堂周信、絶海中津など恵林寺
ゆかりの禅僧たちであった。
 また甲斐は東国において仏教文化の交差する要衝であった。西天目といわれる丹波の高
源寺とともに山岳禅の拠点が形成され、東天目大和村栖雲寺にはわが国有数の質の高い普
応国師の肖像彫刻(図6)が伝えられた。時宗もまた優れた肖像彫刻を遺し、甲府一蓮寺は最
高位である遊行上人を数多く輩出し、優れた往時の文化を今に伝えている。
 武田家のもとで篤く保護されて花開いた仏教文化。甲斐出身のトップリーダーがわが国の
中枢で活躍した時代であった。




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